宝暦・天明文化(1751~1789)
上方を中心に栄えた元禄文化と、江戸を中心に栄えた化政文化の
中間にあたる。その担い手は武士や上層町人を中心としていて、
中層町人以下の庶民層が担い手となった化政文化とは独立した文化
として位置づけられている。
徳川綱吉の治世が終わり、享保の改革などにより引き締められると、
武士の文化活動は抑制的となった。その一方で、武士の中には世俗から
離れて文学や芸術活動に向かうものが現れた。
こうした中で一部上層部の町人を取り込みながら、江戸を中心として
文人趣味の世界が生み出されるようになった。宝暦年間以降になると
政治・社会も文化的に寛容になり、新しい文化が江戸から地方に広がる
ようになった。
絵画の分野では、京都で池大雅・丸山応挙・伊藤若冲らが活躍した。
江戸では鈴木春信・喜多川歌麿・東洲斎写楽などによって錦絵や浮世絵
の全盛期の幕開けを迎えることとなった。
俳諧では与謝蕪村が活躍し、川柳が成立したのもこの時代である。
さらに洒落本・黄表紙・狂歌なども生み出され、山東京伝・太田南畝
などの作家が登場した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/11 12:48 UTC 版)